ママ美人道

ママとしての気持ち、家族の事、チャレンジしたい事、ママも1人の女性でいたいなど、日々の想い、日々の事などを綴っています。

妊娠報告(赤ちゃんができたよ)サプライズ 娘にドッキリ

つい先日、娘に妊娠報告をしました。来週、妊娠4カ月に入るのですが、娘には5カ月に入ってから報告をしようをと主人と話しをしていたのですが、最近体重も20㎏以上もあり私に飛びついてきてくれたり、お腹にあたりヒやっとする事が多々あり、妊娠していなければ、甘えて飛びついてきてくれる事嬉しく、どって事ないんですが、どうしても、前回が流産しているので、神経質になってしまってるんですが、娘にも自覚をもってもらおうと、妊娠報告をしました。

もう、想っている以上の娘の驚きの顔、うれしそうな顔は一生忘れません。

夜、主人と一緒に話たんですが、「ママのお腹の中には、赤ちゃんがいます」と報告すると、娘は「うそ?ほんまに?」と何回も聞き、本当の話と言うと、ガッツポーズでやったーとほんとにうれしそうに、本当に幸せを感じた瞬間でした。

今では、毎日お腹に話しかけ、飛びつく事もなく、私を労わってくれます。

洗い物をしてても、「ママ、しんどかったら、ゆっくり洗いや」とか、「大丈夫?」とか、「赤ちゃん元気に育ってね」と5歳の娘が本当に頼りになり、知らない間に、こんなに、優しい子に成長してくれたんだと、沢山の幸せをもらっています。

これから、産まれてきてくれるわが子も、優しいおねえちゃんがいてくれてお腹で喜んでくれてるような気がして、なんとか、今回は無事に育ってほしい、元気に産まれて、早く抱っこがしたくてたまりません。

なにより、いままでずっと、妹か弟がほしいと言っていた娘に、早く会わせてあげたい。

不安もたくさんありますが、毎日こんなに幸せにしてくれる、わが子に、感謝です。

子はかすがいといいますが、本当に宝です。

幸せなサプライズを娘にしたつもりが、私たち夫婦の方が、娘に毎日幸せをもらっています。

家族と一緒にお腹の子が無事産まれてくてくれるまで、守っていきたいと思います。

まだまだ、つわりがあり、辛いですが、つわりがある事は生きてくれていると想い乗り越えていきたいとおもいます。

一度子を失った時は、感じられなかったつわり。

つわりは本当につらいですが、本当の辛さは、子を失う事。

もう、なのようの経験はだれでもですが、経験したくありません。

この腕の中で、抱っこできますように。

この子の生命力を信じて。

自分と家族を大切にして、新しい家族に会えるその日まで。

ゆっくり、ブログで報告していきたいと思います。

ほんとに、早く会いたくてたまりません。

 

つわりがありながら、仕事とどう向き合う?

10月下旬に妊娠が発覚し、現在妊娠10週目、つわりがピークです。

正直、毎日辛いです。本当につわりが重い方は食事や水分すら喉に通らず、嘔吐で入院する方もいるようですが、その方に比べると私はまだ、ましな状態ですが、一日中、ムカムカ、船酔いみたいな、車酔いみたいな、そんな状態が1日中で、寝ている時だけが、唯一、辛くない状態で今います。

仕事中より、家にいるときの方が、つわりがひどく、夜は毎日嘔吐してしまっているので、仕事中はまだ、ましで助かっていますが、それでもたまに、トイレにかけこみ隠れて嘔吐してしまってる状態です。

1日だけ、朝嘔吐と腹痛で仕事をお休みさせてもらっていますが、正直、本当にひどい方は、仕事をつわりが落ち着くまで、お休みもらっても良いと思います。

もちろん、お休みもらいにくい方もいらっしゃると思いますが、私もその1人ではいますが、本当に辛い時は、子供を今回は失いたくありませんし、無理は絶対しないと決めているので、言いづらい部分はありますが、そこは遠慮なくお休み頂くつもりでいます。

つわりなどで、仕事を4日以上お休みで、国からも働くママに助けてくれる制度がありますので、頼っていいと思います。

そうは言って仕事中、つわりで辛いなと思うとき、私は、紛らわす為、アメや、ガム、ハイチュウ、ぷっちょグミなどで紛らわせたり、炭酸ジュースも少しましに感じれるのでよく飲みます。

マスクをしたり、匂いも風邪やインフルエンザなどにも予防もできますので、必ずつけています。

1人目の時より2人目の方が私はつわりが辛いですが、1人目の時も、いきなりつわりがなくなり、食事がおいしく、本当に急になくなりますので、いつまでもこの辛さは感じないと、ポジティブに毎日過ごすようにしています。

でも、辛く夜泣いてしまっていますが、このつらさを超えれば、かわいいわが子に会える。もうわが子に会えた瞬間、つわりや出産の痛みの辛さなど吹っ飛ぶくらい、もう本当に幸福感に包まれ、あの幸せな日がくると想えばがんばれます。

母は強しとはいいますが、本当に母は強いと、強くなると自分で感じます。

そんな幸せな事を思いながら、書いていたら、不思議つわりを少し忘れていた自分がいます。

気持ちの部分も少しあるのかな?

幸せな気持ちを抱きながら、毎日わが子に会える日を楽しみに、仕事も育児も妻も、家族で乗り越えていきたいと思います。

早くその日が来ないか、待ち遠しいです。

 

妊娠3カ月

現在妊娠3カ月になりました。つわりがあり毎日辛い日々ですが、つわりがあるという事は、生きてくれてると想いがんばっています。

日中はあまりひどくはないので、仕事もいけていますが、家に帰るとほっとするのもあるのか、つわりがひどく、夕食はほとんど食べれません。

作るのも、辛いので、主人と娘の夕食は最近はお弁当がほとんどです。

文句も言わず、つわりがなくなるまで、弁当やお惣菜でいいでと、言ってくれる、家族に感謝です。

妊娠できた事に本当に、うれしい、感謝なのに、つわりがしんどくて、1人泣いてしまう事もありますが、母はがんばるから、元気に育ってほしい、ただそれだけです。

生きてほしい。

毎日、願いを込めて。

妊娠3カ月は、子供は胎芽から胎児になります。

内臓はほとんど完成に近いそうで、5センチから8センチ程度の3頭身の赤ちゃんになるそうです。

そんな事を毎日調べながら、女の子かな男の子かな??夢は膨らみ、主人なんか、名前をほぼ決めていました。

毎日、もしもの事があってもしゃないしなと私の言ってくれますが、本当に第二子、待ちに待ったわが子の誕生を喜んでくれています。

幸せやなと感じながら、もしもと想ったり不安は尽きませんが、子供の生命力を信じて。

母は身体を無理しないように、栄養をとって、自分を大切にしています。

自分の身体をこんなに愛おしく、大切にし、想うのは、娘を授かった時以来の気持ちです。

つわりで辛く、苦しい今ですが、幸せな気持ちも毎日いっぱいだと感じて、できるだけ、ハッピーに、お腹の子に届きますように。

12月中旬が、5カ月になるんですが、5カ月になったら娘に報告をしょうと決めています。

その時は、ビデオを回さないとと想っていますが、その時は待ち遠しく、ドキドキしています。

この間、一緒にお風呂に入っていたのですが、娘がママのお腹膨らんできたなと言う、少しドキッとしたんですが、ただ、それだけ感じたみたいで、お腹に赤ちゃんいるのと聞かれたとドキドキしましたが、大丈夫でした。

早く、言いたいのですが、前回流産した時に、うれしくて、できたとわかった時に、言い娘は大喜びして毎日楽しみにしていたのに、流産してしまい、ぎゃん泣きで、あんな悲しんだ娘がかわいそうで、もちろん、報告した事に後悔はしていませんが、お空にいったわが子は、おねえちゃんにこんなに想ってもらい、お空で喜んでくれていると想うので、でも今回は5カ月に入ってから報告をしようと。

無事に生きてほしい。心からの願い。届きますように。

 

キセキ

19日

2人目不妊に悩む - ママ美人道

記事を書いた翌日、なんと、妊娠が発覚しました。本当にキセキとしかいいようがないのですが、生理予定日より、遅れていた事と、少し気持ちが悪い事があり、妊娠検査薬を試してみました。

流産してから、子供がほしくて、ほしくて、毎月検査薬を試しては、陰性、悲しくて、悲しくて。それがストレスになっていたのか、もともと生理不順でもあるので、生理が遅れるのは、あたりまえになっていたので、10/20も期待はせず試すだけ、試そうと初めて、妊娠はしていないと自分で思い込んでいました。

それがどうでしょう、結果は陽性。

ビックリ、うれしいと同時に涙が溢れて、旦那にすぐに連絡しました。

仕事のお昼休み中に、妊娠が発覚したので、仕事が終わると、なんせ、早く病院でみてもらいたくて、近所の産婦人科に連絡し、1件目は予約がいっぱいでみてもらえず、少し離れた病院では、待ち時間がかかりますが、大丈夫との事。

主人の母に娘をみてもらい、主人に連れてもらい、産婦人科に。

結局、2時間待って診察。もうこの2時間が、長い、長い、不安でたまりませんでした。

待ちに待った、診察、緊張と不安で、先生に前回流産したと伝え、診察してもらった時

、しっかり、心拍が確認、先生がちゃんと妊娠しているよ。

その言葉で、涙が止まらなくて、ひとまず安心。

前回、流産したこともあるので、1週間後にきてとの事。

昨日診察にいってきました。

1週間、不安で、不安で。

結果は、心拍も正常少し大きく成長してくれていました。

妊娠3カ月になりました。

前回は2カ月の終わり、流産してしまったので、今回はなんとかがんばってくれたいます。

まだまだ、毎日不安で、病院の日がまちどうしく、つわりに悩ませながら、日々過ごしています。

ストレスがたまるのが一番よくないとはおもうのですが、不安でたまらないです。

なるべる、無理せず、気にしすぎないように、過ごすように心がけています。

この子を信じて。

生命力を信じて。

毎日、キロロの曲「生きてこそ」を聞いています。

本当にいい曲です。

大好きな、フレーズ

「生きてこそ、生きてこそ、無限に羽ばたいていく夢

生きてこそ、生きてこそ、その根は深く 太く 強く」

 

この子にも、生きてほしい、一緒に生きていきたい。

この子に届きますように、生きてこそ、未来がある

生きてこそ、生きてこそ、輝く未来を一緒にみたい。

不安でいっぱいですが、この子を信じて毎日を過ごしていきたいと思います。

成長は、つわりがひどくないときに、ゆっくり、書いていきます。

2人目不妊に悩む

1人目は有り難いことに、入籍を済ませて2カ月後に妊娠することができました。

順調に育ってくれ、現在5歳になります。

娘が2歳ごろから、2人目を考えだしていたんですが、中々授かれず。

もともと私自身が、生理不順で排卵期などわからずで病院にいかないといけないのかな?と思いながら、仕事と育児で中々病院まで足が動かず。

自然に授かれたらと思っていたんですが、それでも中々授かれずにやっぱり病院に行かないとと思っていたころ。

2015年の3月の中旬ごろ、念願の2人目妊娠が発覚。

本当にうれしくて、うれしくて、すぐに産婦人科を予約、私の実家の家族、主人の家族、そして、妹か弟がほしいとずっと、言ってた娘に報告しました。

あの時のうれしそうな娘の顔、今でも忘れられません。

産婦人科の予約日、受診をして、まだ心音は見えない頃でしたが、先生が母子手帳をもらってきてと言ってもらい、母子手帳の手続きをしたら、妊娠時にかかる検診の控除をうける事ができるので、早めにもらっておいでと、その帰り、急いで市役所に手続きに。

母子手帳をもらった時、本当にうれしく、幸せな気持ちで帰ったのを覚えています。

その後、身体の異変を少し感じ、1人目とは、まったく違う体温も低く、お腹の痛みが続いていて、先生に相談はしましたが、妊娠初期には珍しくない、腹痛で様子を見て、安静にと言われていました。

そんなに気にすることもなく過ごしていたんですが、ある日、腹痛で少し出血があり、急いで産婦人科に連絡し、受診しました。

受診した時、心音が確認できましたが、1人目とはまったく異なり、心臓の速さが遅く、先生が首をかしげて、まだ妊娠初期だから、安静にするしかないと言われ、あきらかに1人目妊娠した時の、心音は本当に早く動きまわっていたので、わたしでも、この子、弱いのかな?と本当に不安になり、それまでの、幸せはいっぺん不安でいっぱいになりました。

不安は的中、腹痛が続き、何度か産婦人科に足を運びましたが、この時点で先生ができる事はなく、安静にする事しか言えないと。

何度か言われ、その受診後、夜出血が止まらなくなり、今までの腹痛とはくらべものにならないほど、陣痛がきたかのような痛みで、主人に連絡をとってもらい、すぐに病院にきてと言われた頃、私は陣痛のような腹痛と同時に、ものすごい吐き気で嘔吐したとたん、どろっと出産したかのように、まだ妊娠初期で赤ちゃんの姿はなかったですが、胎盤のような黒いかたまりがでてしまいました。

流産した事はなかったのですが、赤ちゃんが出たかもと、真っ青になり、主人にかかえられ、産婦人科にいきました。

病院に到着するなり、でてしまった物を先生に診てもらい、残念ながらと、流産してしまいました。

緊急で、流産の手術になり、全身麻酔で手術時間は15分程度でしたが、麻酔がさめ、横に主人の姿を確認できた時、本当にほっと安心した事を覚えています。

帰りの車の中、病院でもですが、先生、看護師の方にお母さんが悪くないよ、優しく励ましてもらい、本当に辛く、ずっと泣いてしまっていました。

申し訳ない気持ちと、わが子を失う気持ち、もう苦しいとしか言いようがないですが、その後娘に、報告しましたが、今でも忘れられません。

あんなに、泣いた娘の姿は。申し訳ない気持ちで、本当の辛さはこのことやなと。

もし生きていたら、来月で1歳になります。

娘もお空で見ていてくれてると、その言葉でどれだけ、私は助けてもらったか。

今はやっと、あの子の分まで、精一杯生きようと。

精一杯、娘を育てようと、お空で見守っていてと想えるようになりました。

わが子に、元気に産んであげられなくて、本当にごめんなさい。

抱きしめてあげられなかったけど、私たちのところにきてくれて、ありがとう。

あなたがお腹の中にきてくれた時、本当に幸せでした、ありがとう。

いつか、また、戻ってきてくれたら、会えたら、そんな事をいつも想っています。

共働き生活をする中で、大切な事とは

共働きをするようになり、するようになったというよりは、我が家はしないといけない状態になり、私も働く事になったのですが、娘が8カ月の頃から保育園にいれ、私もフルタイムで働く事になったのが、2012年からなので、共働きを初めて4年が経ちます。

働かないといけない状態とは、主人が病気の発覚、入院、手術となり、我が家は急に、大黒柱が働けない状態になり、私が働く事になったのです。

今では、無事手術も成功、社会復帰も思った程早く回復でき、今ではバリバリ頑張ってくれています。

そんな、大変な時期も経験しながら、働ける事に感謝し今では、お互い仕事を頑張っているのですが、やはり、フルタイムで働いていると、家事や家の事がおろそかになってしまう事もたびたび、仕事が終わって家に帰ると、少しの間座り込み、疲れて立てないことも。

家に帰り、食事の用意、お風呂の用意、子供の用意、洗濯、洗い物をやっていたら、気づけば、いつも9時過ぎ、子供の寝かしつけをしてだいたい、寝てくれるのが、10時過ぎ、子供が寝るのと同時に気づけば、私も一緒に就寝、朝を迎えると言うのが、平日のスタイルです。

共働き生活をするようになってから、本当に主人の協力の大切さが身にしみます。

毎日ではないですが、私がしんどそうな時は、洗い物、洗濯などやってくれたり、子供の事なども、率先してやってくれます。

本当にありがたいです。

いつも照れくさいけど、やってくれた時は必ずありがとうと伝えています。

夫婦であっても、何1つやって当たり前ではないと思うし、感謝を伝えると、必ずまたやってもらえるかなと思いつつ、夫婦で協力する事、感謝を伝える事は大切にしているつもりです。

私も、主人が手術、入院を経験し、家にいなく、1人でまだ、8カ月の娘をかかえ、仕事にむかい、家事や家の事を1人で少しの期間経験したので、不安や大変さは本当に心からわかりますし、世の中には、1人で子育てされている家族の方も沢山いらっしゃる訳で、私の妹も1人親でシングルマザーなので、不安や大変さは、測り知れないですが、本当に心から尊敬致します。

大変な中にも、必ず幸せな事があると思うのですが、本当の幸せは、不幸な姿で現れると私が思うので、大変な時期は、そんな心の余裕などないのですが、過ぎ去ってからは、あの時大変だったけど、良かったと思えるからです。

もちろん、子供には、幼い頃から保育園に通い、申し訳ないと何度も思い、娘も私も毎日なれるまで、泣いて、泣いての毎日でした。

そんな日も、今では懐かしいですが、今では楽しく、私なんかより、友達と遊ぶのが楽しく、お迎えにいっても、お迎えの時間が早いと怒られる日々です。

子供との毎日で、平日は夫婦とも共働きなので、お休みの日は、子供との時間を大切にするように、心がけていました。

有り難いことに、夫婦のお休みが土、日曜日なので家族で週末はおでかえしたりと共に時間を共有し有意義に時間を楽しんでします。

娘の熱

先日、娘が久しぶりの高熱をだし、凄く焦ってしまったという話なんですが、夜9時ごろまで元気いっぱいで、首が少し痛いとは言ってはいてたんですが、特に気にすることはなく、そのまま娘も私も眠りについたんんですが、夜中の1時頃、娘がしんどいと泣き声で目が覚め、娘の身体が凄く熱く、慌てて体温を測ると、39.7°でさらにびっくり、熱は、38°くらいの風邪はよくだしていたのですが、40°近くの熱は本当に久しぶりで、私たち夫婦も大慌てしてしまい、娘もしんどくて大泣きするは、そんな時に限って、熱さましがなく、身体を冷やしてあげる事しかできなくて、だんだんひどくなって、嘔吐はするしと、もう、さらに大慌て。

救急の病院を調べて、電話してみると、小児科の先生はいないと、どうする?と電話口でたぶん先生が対応してくれてたんだと思うんですが、あまりにも、対応が悪く、こられても、小児科の先生がいてないから、見られへんみたいな感じに言われるし、どうすると聞いていたのに、見れないと、寝てたのか、あんまり、聞こえずらいし、怒ってるような口ぶりで、本当に対応が悪く、もういいですと電話を切ったのですが。

先生がいなくて、問題になってることは知っていましたが、もし本当に救急な場合、あんな電話対応では、本当に不安になり、電話をきった後主人と喋っていました。

普段と違う娘の状態で、どうしょうもなくて電話したのに、大事に至らなかったから、良かったのですが、あの後、容態が急変する事だって絶対ないとはいえないはずです。

娘がまだ、1歳にならない時期も、高熱で救急にいった事が何回かあるのですが、電話で状態など話してみると、来てくださいと本当に親切に対応して下さったのですが、今回はこんなずさんな電話対応は初めてで、本当に、大事に至らなくてよかったと、もう怒りを通して、問題点が沢山あることにきずかされました。

先生も、人間だし、大変な事は、昔、病院で働かせてもらっていた過去があるので、大変さは少しはわかっているつもりですが、今でも、あの時、もし娘が容態が悪くなっていたらと考えると本当に恐ろしく、救急車を呼べば来てはくれますが、運ばれる病院に小児科の先生がいないとの回答だったので、本当に怖いと思いました。

その事を、私が記事に書いたからどうなる訳でもないですが、本当に怖いと本当に感じたので、やっぱり、子供はいつ熱や体調が悪くなるかわからないので、親もそれを考えて、用意しておく物や、病院など調べておくべきなんだと感じました。